西南戦争も本当は西郷の私利私欲やったのではない
八重の桜は今週の放映で鳥羽伏見の戦いになり、会津の地獄が始まりました。
西南...八重の桜は今週の放映で鳥羽伏見の戦いになり、会津の地獄が始まりました。
西南戦争では佐川官兵衛以下の旧会津士族が「戌辰の仇打ち」と称して西郷軍を大いに打ち負かしたそうです。
八重の桜では大西郷はどのような 末路を迎えるのでしょうか?
史実では切腹ですが、今回の大西郷は仇役の親玉ですから会津士族の怨霊に取り憑かれて発狂する設定ですかね?
それとも、最後は佐川が大西郷を見つけて首を討ち取る設定ですか。
八重では大西郷は悪玉の首魁ですから。
佐川に討ち取って欲しいですね。
それを聞いた八重たちが狂喜するシーンは欲しいですね。
佐川、山川、斉藤一はいずれも抜刀隊ではありませんし、抜刀隊には薩摩の若者が多かったのです
山川も第一旅団、第二旅団の活躍で田原坂で薩摩を退けて、熊本城包囲網を政府軍が打ち砕くのを確認してから、半ば軍務違反覚悟で熊本城に恩義ある土佐の谷のために駆けつけたのです
西郷隆盛もよくみると悪い人ではないのです
むしろ度量のあるいい人だからこそ薩摩に担がれたのです
八重の兄を助けたのも西郷隆盛で八重の兄が盲目になったので可哀想なので所信を述べさせて明治政府に忠誠を立てさせて京の人もうらやむ要職を特別に与えたのです
もし西郷が助けなければ目くら浮浪者として死んでいたことでしょう
これは武士の情けで、薩摩の中では何か流行ったようです
江戸の無血開城をはじめ、大鳥や榎本やの命を救い職を与えて、ちょっと寛大すぎる処置をあちこちでやっています
大鳥も榎本も命を救われています
山川も許され軍でそれなりの好待遇で職を得ますし、佐川や斉藤一も許されて警視庁に入ります
会津藩主もこれで命を救われています
ちょっとありえない大甘処遇に逆に薩長の若手が反発したくらいです
以前なら処刑が当たり前でした
西郷の過失といえば功罪を明らかにせずに、きちんとした賞罰を当てる事をせずに誰でも許し、会津藩主などの過失を許し、本来官軍に協力して賞を貰うべき者の賞の部分を会津藩士に分け与えた事でした
ですので会津藩士は反省すべき所をほとんど反省もせずに自らの罪の部分を全て覆い隠して適当な嘘で明治時代を生き延びてしまったのです
逆に会津領民などへの賞の部分をもっと多くすべきでしたが、それをしなかったのが間違いでした
話を元に戻して第一次長州征伐でも当時としては大甘の西郷の長州の処遇に会津藩などが反発したくらいです
当時は長州に憎まれていた薩摩の西郷はそれでも長州をも救っているのです
好戦的な会津藩はその処遇に不満で第二次長州征伐そして鳥羽伏見の戦いを引き起こしたのです
会津戦争もそうですが、なぜか会津藩は常に好戦的でした
でもそんな西郷に結局は会津戦争の後も命を救われたのに全く感謝しない矛盾だらけの藩が会津藩でした
しかしそんな誰にでも優しい領民の事も気遣う西郷だからこそ当時の薩摩の武士は納得し一目を置き、言う事を聞いたのでした
反面、会津領主は以前、薩長との和睦を主張した神保修理に切腹を命じ、会津戦争では逃がす事も可能だった数多くの士族の女子供を自害させていますが、その数は200人を超えて会津戦争の中の死者数の中でも女子供の死者数のほとんどを占めます
実際に人の命をむやみに奪ったのが会津藩主で、人の命をなるべく救おうとしたのが西郷隆盛です
西郷とは真逆で会津藩主は残忍であり西郷頼母の妻と家族の自害も有名で、戦時中で唯一会津のために奔走した頼母には刺客まで向けています
しかし会津戦争でようやくその非を認めます
反面、西郷隆盛の救った命の数はとてつもなく多く、数多くの藩はどうしてこんなに処分が軽いのだと驚きました
有名なのが江戸でも揉めていた庄内藩です
庄内藩はあまりの処分の軽さにびっくりして、西郷隆盛に感謝します
調べてみると西郷隆盛は下級武士出身の故に領民と藩主との板ばさみに悩み、苦しみぬき一時は流刑もされた苦労人であり、人の苦しみをよく知る人物である事が判明しました
上野戦争の時でさえ敵の全滅を目指そうとした大村の采配にケチをつけます
その優しい西郷隆盛が西南戦争で自分の部下の罪だけは許されずに命を落すのです
西郷隆盛の本当の姿を知るものは皆泣きました
故に西南戦争後の没後には名誉も回復され偉人として扱われるようになりました
反面、会津藩主はその後も生きましたが、今日まで彼の所業をよく言うものはあまりいませんでした
本当のところはそんなものですよ
会津のドラマですのでかなり容保は美化されているようですが、かなり欠点は多いです
逆に西郷隆盛はかなり優しくできるだけ人を殺すのは避けようとしています
西南戦争も本当は西郷の私利私欲やったのではないですし、西郷は最後には部下の過失を自らの命を以って償っているのです
可哀想ですよねありがとうございます。
260年続いた徳川幕府を倒した功績第一は大西郷は間違いないでしょう。
英雄
視する余り暗黒面をスルーするのは問題でしょう。
大西郷も人間である以上欠点があり、島女房(現地妻)を捨てたばかりかその間に
できた菊次郎は「島女房の子」と言う事で長男なのに西郷侯爵家の跡目を異母弟
の寅太郎に奪われました。
長男なのに「次郎」と言う名付けに父親である大西郷の
悪意を感じますが。